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高崎哲矢氏インタビュー ~MRから異業種への転職でジャンプアップ~
このたび、MRから異業種への転職を経て、キャリアアップされている高崎氏にインタビューさせて頂く事が出来ました。
今、MRのキャリアに関してはなかなか見通しが立たないと悲観的に思われている方が増えてきておりますが、実際にこのような幸せなキャリアパスもあるのだなと感じました。
みなさんにとっても、興味深い内容だと思います。
ぜひご覧ください!
・高崎さんのこれまでの経歴についてお聞かせください。
私は現在、38歳なのですが、かつての同期からよくキャリアパスに関しての相談の電話がかかってくるようになりました。新卒でMRになったわけですが、製薬業界という狭いフィールドにいると薬のことしかわからず、他の業界について無知のままです。
MRは活躍のフィールドが医薬品以外でもたくさんあると思っているのですが、製薬業界特有の環境や文化に固執しているところもあり、私としては非常にもったいなく感じることもあります。
・MR歴は12年とのことですが、どの地域を担当されていたのでしょうか。
新卒で名古屋に6年間いました。岐阜との県境にある基幹病院から診療所までまわっていましたね。そのあとは鹿児島で奄美群島を担当していました。
奄美群島は、鹿児島からも沖縄からも380キロ離れているため、地理的な部分を考慮すると離島で医療が完結しなければなりません。都会の感覚からは考えられないようなスピリチュアルな世界と共存している文化が根強く残っているようにも感じました。
そのため、奄美の文化、歴史を尊重しながらも都市部と変わらない医療情報提供のあり方を考えるようになりました。
当時は戦略品や重点品のシェアを拡大することが命題でしたが、私はどちらかというと当時、島の課題となっていた地域包括ケアをまず島で構築し、島に受け入れられ、良好な人間関係を構築した上で処方してもらいたいと思っていました。島には大島郡医師会、奄美薬剤師会含めて、大変お世話になりましたね。
奄美には、「奄美MRの会」というMRだけの組織があります。医師会や県立大島病院、医薬品卸や奄美空港などとも連携しているのですが、島でのMR活動をサポートする互助会のような形で立ち上げました。
その会をなぜ作ったのかというと私が鹿児島へ赴任してすぐに奄美豪雨災害が発生し島内のあらゆる主要道路ががけ崩れや水没し、MRも何人か島内で連絡がつかない状況になりました。レンタカーや営業車が水没し避難所に向かうMRも出ました。
島民であれば結いの精神で迅速な情報共有もできますが、出張で来ている私たちは島内に存在する医薬品卸5社の他はほとんど情報源がないのでこれは生き死に関わると感じました。
被災後5メートルの大シケの中、島に残されたMRはフェリーで島を脱出するなかで、お互いにライバル関係ではあるけれど、互いが安全にMR活動することを目的としてMRの会を作りました。そこからは、特別大きな災害に巻き込まれることもなく、現在も活動は続いています。
・大日本住友製薬からエムスリーへの転職は、どのような思いがあったのでしょうか。
元々、エムスリーの事業内容には興味を持っていました。ちょうど、私が名古屋支店にいた時にMR君を導入し、支店の推進担当などしていました。今後、そういったサービスは増えてくるでしょうし、私は文系出身で薬剤師ではないので、40歳になった時の市場環境やキャリアパスなどを考えると将来に危機感を感じていました。
いつか、エムスリーに行けたら良いと思っていたところ、エージェントからお声がけいただいたという形です。メディカルマーケターサービスの立ち上げ時期でまだ企業ホームページも最小限の情報しかないという状況でしたが、以前からやりたいと思っていたこともあり内定をいただいたので転職することにしました。
メディカルマーケターの後輩たちからはよく最小限の情報だけで転職を決意しましたねと言われます。それくらい事業として初期段階での入社でした。
・エムスリーマーケティングでの仕事はいかがでしたか?
仕事はとても楽しかったです。上司や同僚、後輩など人財に非常に恵まれました。印象に残っているのは、最初の上司が入社初日のオリエンテーションの時に「12年間のMRのキャリアはとても大事です。ただ、12年の間で染まってきた慣習や思考はこの時点で全て消してください。」と言われたことです。
課題図書をいただき論理的な思考を身に付けるための本を中心に渡され、まずはロジカルに慣れましょう、エクセル操作を覚えましょう、マウスを使うのはやめましょうと。また、上司が外資系コンサルや事業会社出身者ばかりだったので、マーケティング用語に慣れるということも必要でした。
「今の仕事は、1分あたり何円クライアントからもらっていて、どれだけの価値を提供すると満足いただけるのか」という意識を持って活動してくださいと言われましたし、徹底的に思考の切り替えをすることができ、私にとっては後々とても良かったと思っています。
今でこそ、「メディカルマーケター」や「myMR君」など認知されてますが、最初は試行錯誤をしながらプロジェクトを行なっていたので、リアル訪問もしていました。いろいろな手段を使ってコンバーションを上げていく。そして、製薬企業のマーケティング部門や営業部門に喜んでいただき、処方につながる活動をすることに集中していました。
・エムスリーに3年在籍されていましたが、今の会社に転職されたのはなぜでしょうか。
エムスリーマーケティングでの仕事はとても刺激的で楽しいのですが、クライアントの要望に応えるために常に脳に汗をかき、貢献していく必要があります。プロジェクトを複数経験し 3年も経つとマーケティングの基本的な部分も習得でき、欲が出てきてもっといろんな仕事をしてみたいと思うようになります。またどんどん優秀な後輩が入社し、会社に対して一定の貢献はできたと感じたので、3年で一度区切りをつけてステップアップしたいと思うようになりました。
エムスリーマーケティングでの業務の後半は他部門の方と一緒に新規事業開発に関わることができていたことや、医療だけでなく高齢者、子供などの事業に関われる仕事をしていきたいと思っていたので、医療関連サービス、介護、保育を展開する事業会社でICTを活用した新規事業開発をする部門に転職しました。
・現在のMRの状況を見て、どう思われますか?
すごく大変な時代だと思います。コロナ禍で今回裏付けられたことは、リアルな情報提供活動をしなくても多くの薬剤はコンスタントに売り上げが継続するというファクトが出たことです。これは、MRにとっては、重要なリスクであり、ニューノーマルな時代に適応する新たな働き方を考えるきっかけになっているように感じます。一方で、エムスリーマーケティングとしてはすごく追い風で需要が増えているからこそ、規模拡大が進んでいて、積極採用しているようです。
病院経営自体も公立病院の再編やコロナ禍の影響で多くの医療施設は悪化の傾向です。いかにして集患や増収できるかという課題に対して、MRのスキルは生かせると思います。病院経営層にアプローチしやすいのはMRの強みです。地域連携室の前方支援業務や、今後デジタル庁の創設をはじめIT企業の医療機関に対するアプローチは増えてくると思いますので、そういう分野でMR経験が生かせるのではないでしょうか?
・今後のビジョンについてお聞かせください。
今月から新規事業推進部長を拝命しました。医療現場におけるゲームチェンジャーを目指して次の20年を牽引するビジネスのローンチが主なミッションです。ヘルスケアの世界でDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進と拡大、ならびに科学的根拠に基づく介護の構築を当面の目標にがんばっていきたいと考えています。
仕事柄、行政や団体を訪問することも多いのですが、これはMRの経験がすごく役立ちます。相手のニーズを探り、キャラクターに応じた対応が臨機応変にできるのはMRをしていた強みだと思います。事前に相手の経歴を調べ、どういったネタから話を持っていくのか、クロージングについてどうすれば双方win-winになるかを考える部分はMRしていてよかったと思います。
・今のMRヘアドバイスがあればお願いします。
薬だけでなく医療、介護、ヘルスケアに加え、ヘルスケアと関連する周辺事業体など広い視野を持って欲しいですね。自分たちが取り扱っている薬や次に出る薬、対抗品に対しての情報、医師とコミュニケーションを取るために必要な情報は収集できますが、それ以外への関心は低いような気もします。MRを経てコンサルやデジタルマーケティング、経営者、私のような事業開発の職業についている人も私の周りにいますが、皆さん視野を広くアンテナを高くして色々な情報を仕入れ頻繁に情報交換しています。
生活水準を落としたくないから、惰性で製薬業界にしがみつきたいという方も見受けられますが、製薬業界から他業界へ転向したとしても年収の下がらないところもありますし、実際私はMR時代からの生活水準は維持できています。家族がいるとなかなか冒険できない気持ちもわかりますが、一度しかない人生を惰性で過ごすのはもったいないと思います。
MRとしての使命や目的意識を見失ってしまった方は思い切った方向転換をしたほうがこれからの人生が楽しくなるかもしれません。
まとめ
以前はMRからマーケティング部門への移籍を目標にしているという方が多かったのですが、今はその道すら危うい感じです。
もちろん、高崎さんの努力や自己啓発の力が大きいと思いますが、皆さんも視点を変えて、行動を変えると高崎さんのような魅力的なキャリアアップに結び付くということを知って頂けたと思います。
みなさんの能力やモチベーションを活かせる場所をどのように組み立てていくのかの一助になれば幸いです。
最後にお忙しい中、インタビューにお答え頂いた高崎さんにこの場をお借りして心より感謝申し上げます。
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