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MR不要論の正体とは?
今日もミクスオンラインでMRの不安の一番は「MR不要論」と出ていましたが、なぜ不安になるのか?
それは「日常の業務に追われ、会社の言う通りに研修を受け、仕事しているから不安になる」のです。会社の言う通りというか、直属の上司や部門の長の考えに従って仕事しているからと言って良いかもしれません。従順という言葉を間違って解釈しています。
そもそも誰のために仕事をしているのか?なんのために仕事をしているのか?の自分の仕事のあり方をまったく考えずに、内定の決まった学生時代から会社や上司に従うことが当たり前のことだと思ってしまっているところに大きな落とし穴があります。
上司はパーフェクトではないし、会社も安泰かと思っていたら、大型製品が一つこけたら、すぐに傾くものです。そういう世界で仕事をしています。スキがあれば攻められて吸収されることもあるし。上司や皆さんがとても優秀で出世のラインに乗っていても、M&Aされたら一瞬でそんなキャリアのラインは絶たれてしまいます。
そんなあやふやな世界で唯一信じられるものがあるとしたら、自分のあり方とそれに基づいた行動規範を作って、仕事にプライベートに取り組むことではないかと思うのです。
会社の売り上げを上げることは悪いことではありません。それらは、まだ解決されていない病気に対する新薬を作り出す原資になります。しかし、その大儀だけでは仕事のモチベーションはあがりません。なぜなら人は自分の周りを取り巻く人的ネットワークの中で生きているからです。この方々に喜ばれることによって、自分の価値を確認して、喜びを感じるのです。
しかし、今のMRは会社のネットワークの数字や上司、組織の良いと評価されることに執着し、顧客のネットワークの方に貢献する意識が少ないところに問題があるのです。公正競争規約や社内規定でそんな貢献できることなんかないだろうと思考を固定しているところに不安の種が潜んでいるのだと心の底では分かっているはずです。
顧客側に立って、イメージしてみたらよくわかります。日ごろ何も貢献してくれないMRが突然来て、製品の説明をとうとうと話して無駄な時間を費やしたり、「月末にまとめて買ってくれ!」と来るなんて言語道断で、「こいつは何を考えているんだ!」と思いますよね。でも、それを実際に行っているMRは今でもごまんといるのです。真の意味での顧客視点、患者視点の話が出てこない。だから、MR不要論が医療現場からつぶやかれる訳です。
じゃあどうしていくべきのか?
MRは顧客(間接的に患者さん)に対し、無形な財産で貢献することに集中することです。無形な財産とは「信用・信頼・愛・知恵・やすらぎ・承認など」目には見えないけど、顧客が心から欲しているものを提供することです。これには税金もかけられないし、公競規もひっかかりません。
これらの無形の財産をたくさん提供し、顧客の心の中に貯蓄できる人が顧客の支持を得ます。不安な人は会社側の方と顧客側の方の貢献バランスが崩れていることを知っているので不安になるとも言えます。
かの有名なアイシュタインの有名な言葉があります。
「同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という。」
今のMRの状況を見ていると、日常に追われ、自分から何も変える努力をしていないのに、続けていれば何かが変わると信じている節があります。これは末期症状だとも言えます。
どうやって顧客のお役に立つのか、喜んでもらうのか。同時にどうすれば自分の会社を盛り上げて、医療に貢献していくのか?
常にそんなことを自問自答しながら学び、行動し、人的ネットワークを広げていく。それも自社とか業界内にとどまらずに意識の幅と視野をもっと大きく広げていく。
そんな姿勢や小さな行動の1歩1歩が漫然と漂う不安を打ち消していくのだと思うのですが、いかがでしょう?
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