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なぜ池上は青森に会社を作るのか?
こんにちは!
いつもブログをお読み頂き、ありがとうございます。
池上の出身校は北里大学なのですが、北里というと北里大学病院をイメージされる方が多いと思います。しかし、大学病院の横にある北里大学の相模原校舎は医学部、看護学部、理学部、衛生学部、そして教養課程の1年生がいるところとなります。
私は獣医学部でしたので、2年生から青森県の十和田市にある学舎に移動になります。そして卒業まで農業が中心の静かで平穏な町で過ごすことになります。
私の場合、大学を卒業して、今のノバルティス、当時はチバガイギー社に入社したのですが、青森が好きで青森営業所勤務を志望しました。もちろん誰も希望しない場所なので要望がスムーズに通り、社会人一年目から青森市の営業所から徒歩1分のマンションに住んで、MR活動をしていました。
最初は弘前、南津軽郡、黒石市などの津軽地域を担当していました。そして2年目からは青森市とその周辺、そして3年目にはそれにプラスして下北とむつ地域の担当も付加されました。
十和田、三沢、八戸周辺は担当になったことがないものの学生時代にウロウロしていたこともあり、土地勘がありますので、青森は五所川原、鰺ヶ沢、深浦周辺を除いてはほぼ制覇していたとも言えます。
そして、3年で製薬企業を辞めて、藤崎町のクリニックの事務長になりました。その当時、何も知らないバカ者を院長先生もよく雇ってくれたなと思いますが、そこで1年半ぐらいお仕事をさせて頂きました。その話は書くと長くなるのでここでは割愛させて頂きます。
よって、青森には7年半あまり住んでいたことになります。若くて多感な時期にこれだけの長期に住んだことは自分にとっても愛着のある土地と言えます。出来れば、ここで事業を興して、喜ばれる仕事をしたいなとおぼろげに思っていました。当時、調剤薬局の起業も増えていたので、そんなことは可能かもなあ~?なんて考えてもいました。
しかしながら、20代の時に青森で事業を興したいと思っても、そんな実力も信用もある訳もなく、まったく絵にかいた餅でしたが、30代になり、地元の京都で起業し、東京に出てきて、成長し、そして50歳になり、ようやく青森で起業できる環境が整ったなあと思った時に、素晴らしい出会いがありました。
懇意にして頂いているヘルシーパス社の田村社長が有機農法のリンゴを自分達で育てるというプロジェクトを行ったのをきっかけに有機野菜・果物の全国ネットワークを運営するふるさと21の森社長&専務と仲良くなったことにより、青森マニアの池上にも森氏をご紹介をして頂きました。そして、長年思い続けていた青森での起業についての話をしたところ、「それは面白いのではないか!!」ということで、3社の協力を基にこのたび会社を作ることになりました。
事業内容は多岐に渡りますが、3社の持つノウハウとリソースをふんだんに使い、医療機関やヘルスケア企業を今までとは違う切り口でサポートする会社になります。
目的は短命県と言われる青森を元気にしたい、盛り上げていきたいということもありますが、基本的にはしっかりビジネスして、青森で過ごす時間を確保したいということです。そして、全国の医療関係者に青森の良さを知ってほしいなと思います。
ほんと、青森は広報が下手なので、みんなによく知られていませんが、観光資源も自然も食べ物も素晴らしく、ふんだんにありますので、大いに楽しんでもらえると思います。
ビジネスにおけるキーワードは「院長と医療スタッフの悩みと不養生をなくす」「医食同源」「アレルギー」「今までとは違い切り口のヘルスケアマーケティングサポート」となっています。
今回、青森に行ったのは、青森で知恵者と呼ばれる方々に会うこと、そして銀行や起業を支援してくれる機関への説明のためです。ビジネスプランを携えて、概要を解説して回りましたが、みなさん好意的に捉えて頂き、大変有意義な時間になりました。半信半疑な部分もあると思いますが、「青森で起業するって、面白いね!」と思ってもらえたようです。
3社ともすでに本業では実績の高い優良企業です。その会社がリソースを持ち寄り、自分達の専門分野ではないところで、新しく事業を開発していくのは楽しみでもあります。
気持ちとしてはヘルスケアのザッポスを目指したいと思っております。小さく始めて大きく育てるという姿勢で最初から堅いビジネスに取り掛かる予定です。
ビジネスの内容に関しては徐々にこのブログでもお知らせできると思いますので、興味のある方はぜひ絡んでくださいね。
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